通信くさぶえ 351号

お世話になりました。再開までお待ちください。

 前回お知らせした通り、今週で今シーズンの宅配は終わりです。来シーズンは、長ネギ、小ネギ、葉ネギなどのネギ類を作る目処がようやく立ってきたので、たくさんお届けしたいと考えています。前回も少し書きましたが、サラダセットも好評のようで力を入れたいと考えています。特に夏場の玉レタスが軟腐病などになりやすく、リーフレタスを4種類ほど試していくつもりです。また、トウモロコシや枝豆もこれまで以上に長い期間お届けできるように作付けを検討しています。そして、近くの有機農家たちと一緒に土壌分析にも取り組んでいきます。科学的にデータを蓄積しながら、特にミネラル類を補充することでより品質の良い作物ができることを期待しています。来シーズンの新たな取り組みを簡単に書きましたが、アンケート結果を受けていろいろと考えていきたいと思っています。

 このところ農薬入りギョーザが世間を騒がしていますが、いかに日本の「食の安全」が脆弱なものであるかを改めて思いました。事故なのか、事件なのかさえ未だにはっきりとしませんが、しっかりと原因究明されることを望んでいます。この件について興味深い記事がありましたのでお伝えしたいと思います。

「(前略)しかしここで私たちが問わなければいけないことは、食べ物の安全性ということだけなのだろうか。そう考えてしまうのは、「食べ物の安全性」が私たちの身体から遠く離れたものになっている、ということを今回の事件は感じさせるからである。
 今日の食べ物の安全性は何によって確保されているのだろうか。いつの間にか私たちは、食べ物それ自体の安全性ではなく、食べ物を提供するシステムを信用するしかなくなっている。中国では輸出用食品は、かなり厳しい管理システムの下におかれているはずだとか、そのシステムに弱点があると不安だとか。あるいは日本の輸入品の検査システムは完全だろうかとか、販売システムや国の安全基準は十分なものなのか、とか。
 そういうシステムを信用して判断するしか、私たちには判断基準がない。ところがそういったシステムについて、私たちはほとんど何も知らない。今回は大きな事件になったのでその一端が報道され、伝えられているけれど、そういうことがなければ多くの人が知ることはないし、またいま伝えられていることといっても、システムの全体の姿ではないだろう。

 現代とは、自分のよく知らない、あるいは手の届かないところにあるものを、判断しながら生きなければならないという困難を、私たちに与えた時代である。(後略)

(信濃毎日新聞 2008年2月9日 「風土と哲学 日本民衆思想の基底へ」 内山 節(哲学者)から抜粋)」

 この事件の本質を考えさせられる視点であると思います。自分の口に入るもの全てを把握することは、今の状況では不可能に近いとは思いますが、せめて基本になるものぐらいは安心・安全であるものを食べたい。そういったものをお届けできる方法の一つとして自分達が行っている宅配の意義があるのではないか、と思いました。作り手と消費者の「顔の見える関係」をいかに築いていくのか、そういった関係をいかに広げていくのか、自分達の出来ることは微々たるものかもしれませんが、考え行動していきたいと思います。1年間ありがとうございました。